新年明けましておめでとうございます。 2017.01.02
昨年はひとかたならぬご好意、ご助力を頂き、誠にありがとうございました。
本年も一層の医療サービスの向上を目指し、スタッフ一同誠心誠意努める覚悟でございます。
なにとぞ本年も倍旧のご支援のほどお願い申し上げます。
みなさまこんにちは。はる院長です。
今年の始まりは大坂城からです。
大坂は坂が多いですね。
上町台地と低湿地帯から成り立っているのが理由です。
いきなりですが(笑)大坂城の構えについて私なりの考えを少し述べたいと思います。
城の東西と北は川と湿地帯で守られていますので南側だけの防御を固めれば安心です。
上町台地は西側の傾斜がやや強く東に向けてなだらかに下る傾向にあります。
東西を横切るように堀切を作れば西側は非常に高い堀を造成することができますが東側はあまり高い堀にはなりません。
さらに大坂城はどちらかと言えば東側に偏っていますので南東の部分がウィークポイントになります。現在のJR玉造駅付近ですね。
攻城の名手である秀吉公がそれくらいは百も承知だった訳で、恐らくこの辺りに防御施設を造設してたしても不思議でありません。
それが昨年大河ドラマにもなった真田丸です。
私の予想では真田信繁が入城した時恐らく陣地はある程度完成しており、後に信繁が担当することが決まってから武田氏の得意とする丸馬出しや堀切などを追加したのではないかと。土の堀切などは多分に後北条氏の影響が感じられます。
実際現地に立ちますと総構えのスケールの大きさに驚くとともに数ヶ月でこれだけの防御施設(真田丸)を作り上げるのは不可能だと思いました。
これは外堀の底から城方向を見たところです。突き当たりの坂になっている頂上のところが城側の土塁です。
外堀は冬の陣の後の講和で埋め立てられていますが、それでもこれだけの勾配が残されています。
遠すぎて火縄銃や弓矢では到底殺傷できないでしょう。
これは城側から南方面を見た写真です。写真の向こう側に真田丸があります。
真田丸は外堀の外にありましたから堀の幅は200mはありそうです。
堀の底らしきところを求めてひたすら市内をグルグル回るだけでもワクワクしますね。