ルイルイ 2016.11.22
みなさまこんばんは。
はる院長です。
事務長のボケ如何でしたか?
湯豆腐と豆腐ハンバーグ・・・って
コラ〜っ❗️❗️( *`ω´)
話しは変わりまして、今日は「大野治長」について。
歴史好きな方は良くご存知の治長さん。
大阪冬の陣では主戦派を退け家康の術中にはまり滅亡に繋がる和議を結び
夏の陣では信繁と勝永が突撃をかけて徳川軍が崩れたった絶妙のタイミングで
秀頼さまの御出馬を止めたりと完全に戦犯扱い。
秀頼さまの本当の父親は治長さん疑惑もあったりと。
まぁ勝者により歴史は嘘で塗りつぶされていくのが道理なので結果を知る私たちが
彼を過少評価するのは如何なものかと思います。
治長さんは武田勝頼を滅亡に導いた跡部勝資のような佞臣フラグが立ち気味ですが、
ほんまかいな❓って思います。
大抵歴史ドラマでは跡部勝資や治長さんは佞臣キャラの俳優が
演じております。分かりやすい設定ですね。
実は治長さん、私が以前勤務していた京丹後出身の武将のようです。
最近知りました。大宮町の口大野にある大野城を居城としていたみたいです。
何度も前を通りましたが全く気付きませんでした。
看板くらい出しとけよ❗️❗️
*奥まったとこにあったみたいです。すんません(^◇^;)
大宮町が生んだ世紀のスーパースター太川陽介ばかり注目されますが、実は歴史上の
超有名人が京丹後出身だったんですね。
全く注目されないのは残念で仕方無いです。
そういえば、太川陽介は真田十勇士の一人「猿飛佐助」のドラマを演じていた記憶が。
川崎麻世の真田幸村が超はまり役だったような・・・
ルイルイ