おもしろうて やがて悲しき はるさんの休日 No23 2026.01.31

第一部「火の偏」 あとがきと解説

1.「書かれた」ことの暴力性
邪馬台国がどこに在ったか。その論争は二千年近くこの列島の知性を翻弄し続けてきた。
しかし本作が描こうとしたのは、場所の特定ではない。
邪馬台国も卑弥呼も、「そう書かれたから、そうなった」という一点である。
魏の官僚機構という巨大なシステムが、音を拾い、字を当て、事務的に固定した瞬間に、それらは「歴史」という名の標本になった。
本書の語り手に名もなき下級役人を選んだのは、歴史とは往々にして、英雄の咆哮ではなく、こうした事務の筆先から生まれる「危ういもの」であることを示したかったからである。
2.「演出」としての行程
『魏志倭人伝』の地理的矛盾――南へ向かったはずが北の海に出、日数が異常に膨れ上がる謎――を、本作ではヤマト側の「防衛本能」として捉えた。
吉備の豊かさ、出雲の祈り。これらを「見せるための通り道」として周遊させ、魏の使節にヤマトの版図の広大さを刷り込む。
これは、武力による征服ではなく「納得」によって国を成そうとした、古代ヤマトの洗練された外交戦であったろう。
3.名を必要としない国
卑弥呼は、自らの名を知らない。現地では名乗らず、呼ばれず、ただ火の前に在るだけであった。
対して大陸の文明は、人を数え、管理するために執拗に「名」を求める。
「卑弥呼」という名は、魏の役所の机上で産声を上げた「記号」に過ぎない。
しかし一度記述されると、その名は本人の意志を離れ、動かしがたい事実へと変質していく。
本作のヤマトは一貫して「説明されない場所」である。城も壁もない。だが、そこにはたしかに人が集まり、火が絶えず、営みが続いていた。
外部の言語でどう名付けられようとも、内側の実存は何も変わらないのである。
4.土地の記憶に導かれて
かつて私は、竹内(たけのうち)峠を下り、真っ直ぐに伸びる横大路を歩いて桜井の地へと至ったことがある。
その折、言葉を失うような衝撃とともに、ある種の予感に貫かれた。
そこには、二千年の時を超えて人々を繋ぎ合わせる「場所の力」が、厳然として息づいていた。
それまで私の中で「漠然とした古代史」という記号に過ぎなかった卑弥呼や邪馬台国が、三輪の山影や土の匂いの中から、突如として血の通った実存として立ち上がってきたのである。
ここには、かつて名もなき人々がたしかに存在し、火を囲み、生きていた。
私がこの物語を綴ろうと思い立ったのは、学術的な確信以上に、この「言葉では表現し得ぬ力」に背中を強力に押されたからに他ならない。
5.最後に
歴史とは、誰かが見て、聞き、書いた瞬間に凍り付いてしまうものである。
だが、書かれなかったものまで消し去ってしまうほど、筆という道具は強くはない。
文字にはできない重さが、世界のどこかにでも、必ず残っている。
もし本作を読み、アスファルトに覆われた現代の街道の下で今も呼吸を続けている「名もなき土」の気配を感じていただけたなら、私としてこれに勝る喜びはない。

 

はる診療所

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